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2010年4月29日木曜日

諏訪哲史 「アサッテの人」

第50回群像新人文学賞受賞作
第137回芥川賞受賞作

「アサッテの人」を読み始めると、私の「おぺるにきゅう」が走馬灯となって現れた。
みなさんは「おぺるにきゅう」、「だっしゃりん」という言葉の意味をご存じだろうか?
たぶんご存じないだろう。だって、これらは私が幼少時に作った言葉なのだから。
もともと語源や意味があったのかどうかすら覚えていない。

授業中、テレビを見ている時、友達と遊んでいる時、など場面はなんでもよいのだが、
少しリラックスした状況でふと我に返った瞬間、これらの言葉を口に出してしまうことがあった。
これらを口に出す瞬間の語感が心地よかったようだ。
なぜか姉と一緒にいる時が多かったのだが、それを聞いた姉は、
「何それ、どういう意味? ねえ、」
と最初のうちは聞いていたのだが、そのうち、
「またかいな、・・・おぺるにきゅ~」
と一緒になって言ってくれるようになった。

私自身は、本作品の本質を解読できていない。もう一度読んで理解できる自信もないのだが、近くまた読んでみたい。

行方不明になった叔父の住まいである公団住宅が解体されることになり、叔父の持ち物を引き取りに来た主人公は叔父とすでに他界した叔母の日記を題材にした小説を書く。ここで通常と違うのは、小説を作っているということを明言しながらこの作品が作られていることである。

・・・・・
作者が登場人物より泣いてばかりもいられない。叔父の話を続ける。
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これをレトリックと呼ぶのか、新しい形式なのか、浅学の私は知らない。


叔父が発する意味不明の言葉である≪ポンパ≫、≪チリパッハ≫、≪ホエミャウ≫、≪タポンテュー≫について、諏訪さんは以下のように表現している。

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耳に付きやすいくせに、それ自体に意味を持たぬ言葉というのは、考えてみれば恐ろしい。それはブラックホールのように人間を吸い寄せ、暗い穴の中へ呑み込んでゆく。
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諸々の凡庸が満ち溢れる社会から離反し、どこか無重力の場所に思うことを「アサッテ」というらしい。

吃逆のある叔父の日記を覗き見る背徳感と享楽。しかし、そこに広がる底なし沼のような言語世界観には、ただただ圧倒される。
どちらかというとアサッテの人である私でも。

アサッテの人