第53回 群像新人文学賞 小説当選作 (群像2010年6月号収載)
私は昨年の正月から、頚椎椎間板ヘルニアによる左肩の激痛のためベッドで横になって寝ることができず、ソファやリクライニングチェアで座ったまま夜を明かしていた。そういう時期に限って長時間、覗きこむことを強いられる手術に入らざるを得ないことが多く左手の三本は完全にしびれ始めイラついた。四月になっても一向によくならないため、整形外科で頚椎手術を受けるか、自分自身が外科医を引退するか、の二者択一しかないと思い昨年の今頃はすべてにイライラしていた。どういう訳だか夏を過ぎる頃から氷が溶けてゆくように軽快し再びベッドで臥床できるようになった。このことはもう忘れつつあった。
二日前に頚椎ヘルニアが再発した。昨年ほどではないが左肩に鈍痛があり前頚することができず自分の臍さえ見られない。近日は、テレビを見ずに読書をして独りの世界に入るという戒律を作っていることもあり、本日の午後は大人しく群像6月号を読むこととした。新人文学賞当選作が発表されていた。
「朝が止まる」は後方視覚を得られた男、二重目覚まし時計のトップセールスレディー、の二人が一人称で交互に語っていく話だ。男の話は既視感あったが何だったかは思い出せない。精神科医ならschizophreniaの離人症状の一種だ、などと診断をつけるのだろうが、私にはわからない。こういう病的精神世界を描くことが文学だと考える流行があるようだが、正直、つまらない。その反面、女の話には魅かれた。「売る」ということについての考察の深さ、日常会話の文脈を読みとくくだりなどは単純におもしろい。つまらない、おもしろい、の繰り返しだ。苦手な男の話の方に入ると、なぜかしら私の左肩鈍痛が思い出されイラついた。
絲山秋子氏の選評は『「眉間に山脈の航空写真みたいな影を寄せて」とか「きらきらした脳漿が自分の耳に流れ込んできていて、それが金色に光っているのを」などといった陳腐な比喩に何度も卒倒しそうになった』とかなり手厳しい。一つ目の表現は確かにいまいちだが、二つ目の比喩は感覚的に理解できるしなかなかのものじゃないかと思う。プロから見たらダメなのか。
松浦寿輝氏の選評によると、一人称の語りは安部公房の文体を連想させるものだ、とのこと。そう言われればそうだったかも知れない。
