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2010年6月30日水曜日

飴村 行 「粘膜人間」

第15回(2008年)日本ホラー小説大賞長編賞受賞作

弟の暴力を恐れる兄たちは殺害を計画した。小学5年生の弟は、身長195cm、体重105kgの巨体であった。彼らが殺人を依頼したのは、村の外れに棲む○○○だった。ストーリーとしてのリアリティーはない。残酷描写そのものも嫌悪感はない。むしろほのぼのとした童謡世界のような印象を受けるのは私の感覚が鈍麻しているからだろう。
おもしろい作品です。粘膜蜥蜴も読もうか思案中です。
粘膜人間 (角川ホラー文庫)

2010年6月28日月曜日

大道 珠貴 「しょっぱいドライブ」

第128回(2002) 芥川賞受賞作

文學界2010年7月号の「身重で身軽 」という作品がおもしろかったので、この作者の作品を読んでみることにした。同書に収載されている他の作品も含めて、すべておもしろい。

どこにでもいそうな平凡な女性。素直でない陰気ないじけた女性。こんな女性は女性からみたらつまらないのだろうか?
男性からみたら平凡な(平凡そうに見える)人の正直な考えこそ最も興味がある。
あえて自分のことを語っているような作者だが、創作であれば天才だし、個人の暴露なら愛おしい人だ。

同書籍に収載されている「タンポポと流星」は秀作で個人的にはこちらの方が気にいった。
しょっぱいドライブ (文春文庫 (た58-2))

鷺沢 萠 「川べりの道」「かもめ家ものがたり」「朽ちる町」

「川べりの道」第64回文學界新人賞(昭和62年/1987年)受賞作

家族を捨てて再婚した父親のところに毎月、お金をもらいにゆく主人公は姉と二人で生活している。姉と父親との確執の板挟みになる主人公は、毎月、川べりの道を歩いてゆく。家族なんていかに非普遍的でもろい形式か、という悲しい現実を受け入れざるを得ない人々は多い。だから多くの小説でメインテーマになりうるのだろう。

「かもめ家ものがたり」
昼は定食屋、夜は居酒屋となる店をきりもりする主人公コウと、そこに転がり込んできた鮎子。
最近、どこかで読んだような感じと思いきや「あいあるあした」(山本文緒)だ。

「朽ちる町」
週三回、塾の講師をする英明は、その町の変なにおいに気がつく。昔は遊廓であった町だった。においは本当に鍍金のにおいなのだろうか。


「川べりの道」、「かもめ家ものがたり」、「朽ちる町」は、
帰れぬ人びと (文春文庫)に収載されている。

鷺沢 萠 「帰れぬ人びと」

第101回(1989)芥川賞候補作

「帰りたいと思っても帰る場所がない」

故郷の実家を離れ核家族となることを選んだ私達にとって身につまされる言葉だ。
それは家が無くなったから、両親が離婚したから、兄の家族がいるから、などという悲嘆もあろう。
私の家族の原点はあそこで、あの頃は楽しかった、しかし絶対に二度とは戻っては来ない、という悲しい郷愁である。

帰れぬ人びと (文春文庫)

重松 清 「ビタミンF」

第124回(2000) 直木賞受賞作

今のところ、ビタミンFと命名された物質はない。ビタミンというのは健康維持に有用なもの、さわやかなものという流布されたイメージを狙ったタイトルなのだろうか。
本書はいくつかの作品を集めたものである。すべての作品に共通する主人公は30代後半の男性で、小学生から中学生の年頃の子をもつ父親である。仕事、家庭に疲れてつつある親父が抱える苦悩を描いた作品群だ。

正直、同年代の親父達がこれを読み元気になるとは思えない。少なくともビタミン剤にはならないと思う。

ビタミンF

2010年6月25日金曜日

中村文則 「掏摸」

第4回(2010年)大江健三郎賞受賞作

小説は創作でありリアリティなんかいらない、という人もいる。そうかも知れない。要は作者の描く世界の質感に共感できるかだけであろう。「」という作品もそうであったが、この作品にもリアリティがある。銃なんかもったことがないが、もったことがあるような感覚を想起できた。この作品では、スリをする瞬間の感覚と心理がリアルに共感できる。スリをしたことがない、スリを見たことがないにも関わらず。強いて難癖をつけるとすれば、主人公の切迫した心理状態を作る設定として巨悪よりも小悪、くだらないものであった方が私のやるせなさ感は長く尾を引いた。

幼少のころから時々みえる「塔」が、本作品の中心に存在する。多くの読者はこれをイメージできるだろうが、これが具体的に何を意味しているのか、をうまく説明できる人は少ないだろう。
群像2010年7月号に大江氏の対談が掲載されている。そこには中村氏の「塔」の意味が語られているはずだ。自分の答えをまとめてみてから答え合わせをしてみるのがとても楽しみだ。

中村文則さんの作品はすばらしい。
掏摸

2010年6月21日月曜日

マイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう いまを生き延びるための哲学」

私は普段、本を読むときには付箋紙を準備しておく。気にいった記述や後ほど読み直す予定の場所にペタペタ貼ってゆく。そして読了後に付箋紙を貼った場所に戻って語彙を調べたり、お気に入りの描写や表現などを「読書ノート」に書き写すのだ。こうするのは、最初の通読時に細かいことに囚われずに一気に読み進みたいからだ。

この本は、最初の2章まで付箋紙を貼りながら進んでいたのだが、貼るべき個所が多くなりすぎたので通常の方法は止めた。1章ごとにメモをとることにした。哲学という専門外の領域で、私の基礎知識が乏しすぎたからだ。

正義という切り口で、先人たちの哲学を検証してゆく。現代政治との関連を中心に正義論が展開されているが、他の領域にも十分応用できるヒントが多い。私の今までの考え(直感)と大きく違う部分があった。幸福に関する考え方と愛国心の効用である。

ハーバードの学生ならこの講義と並行してベンザム、カント、アリストテレスらの原著を読み進めていくはずだ。そうできない私は、もうおっさんだ。

NHKで同講義をシリーズ放送していたらしい。最終回しか見られなかったのが残念。
これはとても良書です。

2010年6月17日木曜日

山本文緒 「プラナリア」

「プラナリア」第124回(2000) 直木賞受賞作

切っても切っても再生できるプラナリアは何を隠喩しているのか。
若くして乳癌に罹患し乳房を切除した女性の苦悩はこういうものか。同じ経験が無くても、私にもわかる、と共感する人は多いはずだ。無理解ではなく不理解ともいうべき周囲に対し、敵意にも似た増悪を抱いてしまう状況はとても悲しく、やるせない。

「ネイキッド」
・・・
責任のない衝動に身を任せるのは気持ちがいいものだ。私は案外幸せなのかもしれないなと思った。
・・・
無意味と有意義。ずっと長い間、私にはその二種類の時間しかなかったし、それ以外の時間があるなんて考えたこともなかった。
・・・

「どこかではないここ」
ぎりぎりのところで何とか保たれているようにみえる平凡な主婦。こういうつつましい母親の平凡な平和。人はこうやって老いてゆくのであろうか。

「囚われ人のジレンマ」
これはおもしろかった。心理学の大学院生であるモラトリアムな彼が結婚を望むが、私はしたくない。

「あいあるあした」
居酒屋の男のところに入り込んできたすみ江。なぜか幸せそうな雰囲気。

プラナリア (文春文庫)

2010年6月14日月曜日

中村文則 「銃」

第34回新潮新人賞受賞作、第128回芥川賞候補作

おもしろいです。前半の描写は特にいい。銃をもった時の質感や心象に共感できる方も多いのではないでしょうか。撃つ気がないのに撃ってしまった最後の場面もおもしろいが、狂人にしてしまうのは、個人的には好きではない終わり方で残念です。
この作品を読んで大江賞を取った「掏摸」も読みたくなりました。

銃 (新潮文庫)

伊藤たかみ 「助手席にて、グルグル・ダンスを踊って」

第32回(1995)文藝賞受賞作

日本版のビバリーヒルズ青春白書といった感じ。
想像力が乏しい私にはこんな高校生達がいるとは思えないので、作品の中に入り込むことができない。とてもお金持ちが住む山の手vs.貧しい人達が住む西区という構図は、わかりやすいが単純すぎると思う。でもこういう作品から始まり「八月の路上に捨てる」という立派なものができてゆくのですね。

助手席にて、グルグル・ダンスを踊って (河出文庫)

2010年6月7日月曜日

荻世いをら  公園

第43(2006) 文藝賞受賞作

・・・・・
ここで時間を戻そう(p8)
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ここで時間を送ろう (p13)
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少しだけ時間が進む。三日後だ (p89)
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あたかもビデオテープを巻き戻したり早送りしたりする感覚を読者に強制する。こういう手法もありなんだ。

冒頭からしばらく続く公園でのリンチシーン、静岡に向かうタクシーでの会話シーン、友人のオノサとニューヨークに行くシーン、本作品は読んでいるものが映像として想起されやすい。2006年のぴあフィルムフェスティバルで入選したという作者の経歴から、作者の作風は映像が基盤にあるようにも思える。

文学的価値とは全く関係ないが、暴力・ドラッグ・狂人に関する内容は嫌いだ。

公園

プーシキン 「スペードの女王」

1834年の作品。

「プーシキンは国民詩人の域をこえて世界の魂に共鳴し共感する世界詩人」とドストエフスキーが絶賛し、トルストイ、ゴーゴリ-らにも多大な影響を与えた。

いわゆるペテルブルク物といわれる作品。
幻想と現実との微妙な交錯を描いた写実的浪漫主義の極致と評され、現在の日本純文学に通ずるものもありそうだ。巻末の解説によれば、この詩人の内的悲劇(精神的危機)につながるものがある。つまり、「スペードの女王」と叙事詩「青銅の騎士」の二作品は同年秋に書かれた叙事詩の一断片が共通の動因として横たわっているというのだ。その詩は以下のようなものだ。

・・・・・
ねがわくは神、われが、心を狂せしめたまうことなかれ。
むしろ如かじ、杖をつき袋を負いて、さすらいの旅に出でんには、
むしろ如かじ、額に汗して野良に働き、あるいは飢えに泣かんには。
われはわが理性をひたすら崇めたるにもあらず、またわれは
わが理性と決別するをいとい欺くにもあらざれど・・・
・・・・・

“スペードの女王は悪しき下心を示す”(本作品の冒頭の言葉)
年老いた伯爵夫人の亡霊によれば、トランプ戯法“ファラオン”で必ず勝つかけ方は、“3,7,1”(トロイカ、セミョルカ、トウズ)である。もし賭ける機会があれば、そう賭けてみることにしよう。“女王”(ダーマ)がでないかドキドキしつつ。

スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)は2005年に改訂された。(神西清の訳)

2010年6月2日水曜日

太宰 治 「人間失格」

1948年作(39歳、最後の作品)
太宰 治(1909-1948)

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自分の幸福の観念と、世の中すべての人たちの幸福の観念とが、まるで食い違っているような不安・・・
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が。まるで見当がつかないのです。
・・・・・

中学生ぐらいの時に同作品を読んだ。最初に読むには、少し早すぎた。輪郭は覚えているものの、こんなテーマだったのか、こんな表現だったのか、と今さら驚く。今読んでも古くない内容だと思えるのは、普遍的な苦悩を赤裸々に正直に語っているからであろう。苦脳を経験したことのある読者は皆、自分のことが描かれていると思うに違いない。奥野健男氏の解説を読み、本作品の背景に驚くのであるが、「はじめて自分のためだけに書いた作品」だという。太宰氏が自殺を遂げた後に同作品の最終原稿が掲載され、同時代の人々は興奮の中で、同作品を読んだ。すごい状況演出だ。

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))

2010年6月1日火曜日

ロシア文学リスト

アレクサンドル・プーシキン (1799-1837年) エヴゲーニー・オネーギン、スペードの女王
ニコライ・ゴーゴリ (1809-1852年) 死せる魂、検察官、鼻、外套
ヴィッサリオン・ベリンスキー(1811-1848年)
アレクサンドル・ゲルツェン(1812-1870年)
イワン・ゴンチャロフ(1812-1891年)オブローモフ
ミハイル・レールモントフ (1814-1841年) 現代の英雄
イワン・ツルゲーネフ (1818-1883年) 父と子、ルージン、初恋


フョードル・ドストエフスキー (1821-1881年) 罪と罰、地下室の手記、白痴、悪霊、カラマーゾフの兄弟
レフ・トルストイ (1828-1910年) 戦争と平和、アンナ・カレーニナ、イワン・イリイチの死、復活
ニコライ・レスコフ(1831-1895年)魅せられた旅人
フセーヴォロド・ガルシン(1855- 1888年)赤い花
アントン・チェーホフ (1860-1904年) 桜の園、かもめ・ワーニャ伯父さん・三人姉妹、熊・結婚申し込み・タバコの害について、小役人の死・かき・たわむれ・ねむい
フョードル・ソログープ(1863-1927年)小悪魔
イヴァン・アレクセーエヴィチ・ブーニン(1870-1953年)暗い並木道
レオニード・ニコライヴィッチ・アンドレーエフ(1871-1919年)深淵、霧の中、七死刑囚物語
アンドレイ・ベールイ(1880-1934年)銀の鳩、ペテルブルグ


アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ(1883-1945年) 苦悩の中をゆく
マクシム・ゴーリキー (1886-1936年) どん底
ボリス・パステルナーク (1890-1960年) ドクトル・ジバゴ
イリヤ・エレンブルグ(1891-1967年)フリオ・フレニトの奇妙な遍歴
ミハイール・ブルガーコフ(1891-1940年)悪魔物語・犬の心臓・運命の卵、巨匠とマルガリータ
ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・マヤコフスキー(1893-1930年)これについて
エヴゲーニイ・ザミャーチン(1894-1937年)われら
バーベリ、イサーク・エンマヌイーロヴィチ(1894-1940年)騎兵隊
アンドレイ・プラトーノフ(1899年-1951年)ジャン
ユーリイ・カルロヴィチ・オレーシャ(1899-1960年) 羨望
ウラジーミル・ナボコフ (1899-1977年) 賜物
レオニード・レオーノフ (1899-1994年) 泥棒


ニコラーイ・オストロフスキー(1904-1936年)雷雨
ミハイル・ショーロホフ(1905-1984年) 静かなドン
アレクサンドル・ソルジェニーツィン (1918-2008年) イワン・デニーソヴィチの一日、ガン病棟
ストルガツキー兄弟(兄アルカジイ1925-1991年、弟ボリス1933- )
ユーリー・トリーフォノフ(1925-1981) その時、その所
ファジリ イスカンデル(1929-) チェゲムのサンドロおじさん
ヴァレンチン・グリゴーリエヴィチ・ラスプーチン(1937-)マリヤのための金
ヴィクトル・エロフェーエフ(1938-1990年) 酔いどれ列車、モスクワ発─ペトゥシキ行
ペトルシェフスカヤ(1938-) 時は夜
ヨシフ・ブロツキー(1940-1996年) 大理石
リュドミラ・エヴゲーニエヴナ・ウリツカヤ(1943-) ソーネチカ
タチャーナ・トルスタヤ (1951- ) 金色の玄関に
ウラジミール・ソローキン (1955-) ロマン
ボリス・アクーニン(1956-)
アレクサンドラ・マリーニナ (1957- )
ヴィクトル・ペレーヴィン(1962-)
セルゲイ・ルキヤネンコ(1968-)